トップページ > 調査・研究 > 霞ヶ浦 > 霞ヶ浦の歴史
霞ヶ浦の歴史
- 約3〜2万年前
海面が低下し、それまで海だった関東平野が陸地になる
この頃、霞ヶ浦周辺に旧石器を使う人々が住み始める
- 約6千年前
海面が上昇し、谷に沿って海水が浸入
現在の霞ヶ浦の輪郭がつくられる
- 4世紀末〜6世紀前半
豪族が出現し、多くの古墳を残す
- 5世紀初め
霞ヶ浦北岸の谷津田で開墾が行われる
- 645(大化元)年
――大化の改新が始まる
- 649(大化5)年
常陸国内に神群(香島郡)がおかれ、そこにあった香島の天の大神を、(豊香島の宮)と名づける(現在の鹿島神宮)
- 710(和銅3)年
――平城京(奈良)に都を移す
- 713(和銅6)年
『常陸国風土記』を撰上、霞ヶ浦を「流海(ながれうみ)」と表わす
- 794(延暦13)年
――平安京(京都)に都を移す
- 1192(建久3)年
――源頼朝が征夷大将軍となり鎌倉に幕府をひらく
- 13世紀
霞ヶ浦沿岸を通って鎌倉と恩州を結ぶ鎌倉街道や、高浜から出船する水路が開発され、流通が活発になる
- 1338(暦応元)年
――足利尊氏氏が室町幕府をひらく
南朝方の北畠親房が霞ヶ浦に入り、東条荘神宮寺城(現在の稲敷市)や阿波崎城(現在の稲敷市)を転戦しながら小田城(現在のつくば市)において『神皇正統記』を著す
- 14世紀頃
海夫の存在。香取社の支配下にあって漁労・水運の特権を認められる
1368(応安元)年〜1375(天授元)年
『海夫注文』著される
- 15世紀前半
商船を狙っての海賊行為が行われ、関東管領 上杉憲実が取り締まりを命じる(鳥名木文所)
- 1590(天正18)年
――豊臣秀吉が全国統一する
- 1594(文禄3)年
利根川瀬替え東遷工事はじまる
- 1603(慶長8)年
――徳川家康が江戸幕府をひらく
- 1650(慶安3)年
『霞ヶ浦四十八津掟書』が定められる
(漁具・漁法・漁期違反者処罰法等を定める)
- 1654(承応3)年
利根川東流完成、霞ヶ浦・利根川の舟運が活発化
- 1728(享保13)年
この頃、大徳網(大型定置網)始まる
- 1783(天明3)年
浅間山大噴火。以降、洪水被害甚大
- 1786(天明6)年
利根川氾濫、土浦大洪水
- 1866(慶応2)年
中館広之助、鰐川から鹿島灘への放水路・居切堀(堀割川)に着手(〜1871)
- 1867(慶応3)年
――大政奉還・王政復古の大号令
- 1880(明治13)年
折本良平(現在のかすみがら市)帆曳網漁獲法を発明
- 1888(明治21)年
北浦に蒸気船就航
- 1896(明治29)年
土浦・田畑間鉄道開通、線路堤を湖岸堤に代用
- 1900(明治33)年
利根川第1期改修工事に着手(〜1930)
- 1904(明治37)年
志戸崎にワカサギ缶詰工場(日露戦争で缶詰需要増大)
- 1910(明治43)年
8月 台風により霞ヶ浦大洪水
- 1914(大正3)年
横利根川閘門の建設に着手(〜1921)
- 1922(大正11)年
霞ヶ浦航空隊設立
この頃、水郷観光が盛ん、鹿島参宮鉄道石岡・小川間開通
- 1923(大正12)年
――関東大震災がおこる
- 1931(昭和6)年
リンドバーグ、霞ヶ浦へ訪問飛行
水郷汽船設立(あやめ丸など就航)
- 1938(昭和13)年
5月 新利根川改良県営事業完了
6〜7月 霞ヶ浦大洪水発生(Y.P 3.34メートル)
- 1939(昭和14年)
――第二次世界大戦が始まる
- 1941(昭和16)年
7月 霞ヶ浦大洪水発生
- 1945(昭和20)年
――日本が降伏する
- 1948(昭和23)年
北利根川(現常陸利根川)の河道浚渫に着手
以降、霞ヶ浦の塩分上昇
- 1955(昭和30)年
鹿行地域(神栖・鹿島・潮来など)に塩害発生
- 1959(昭和34)年
水郷国定公園指定、常陸川水門着工
- 1963(昭和38)年
5月 常陸川水門が完成
- 1964(昭和39)年
――東京オリンピック大会が開かれる
- 1965(昭和40)年
3月 霞ヶ浦が一級河川に指定される
- 1966(昭和41)年
12月 「茨城県公害防止条例」が公布される(1967年7月施行)
- 1967(昭和42)年
6月 霞ヶ浦が県から国の管理へ
8月 「公害対策基本法」が公布される
- 1968(昭和43)年
霞ヶ浦開発事業により築堤工事が始まる
- 1969(昭和44)年
8月 鹿島港開港
- 1970(昭和45)年
――大阪で万国博覧会が開かれる
- 1971(昭和46)年
3月 水資源開発公団が建設省から霞ヶ浦開発事業を継承
7月 常陸利根川でシジミの大量死
- 1972(昭和47)年
1月 茨城県霞ヶ浦総合対策推進本部(本部長 知事)設置
- 1973(昭和48)年
7月 塩害で常陸川水門閉鎖、シジミ1万数千トン死、水門開放湖上デモ
霞ヶ浦でアオコが大発生、養殖コイ大量へい死、水道にカビ臭
- 1974(昭和49)年
塩害甚大
遊泳不適で最後の湖水浴場歩崎閉鎖
- 1975(昭和50)年
常陸川水門による水位調節を開始
10月 霞ヶ浦浄化に合流洗剤を粉せっけんに切り替える運動始まる
- 1976(昭和51)年
3月 「霞ヶ浦水源地域整備計画」が決定・公布される
6月 県が「霞ヶ浦水質監視班」を設置
- 1979(昭和54)年
1月 霞ヶ浦湖北流域下水道処理施設の一部完成、操業開始
4月 霞ヶ浦用水事業が開始される
この年、CODが過去最高の10.6mg/lを記録(昭和54年度平均)
養殖コイ大量死
- 1980(昭和55)年
6月 茨城県環境局に「霞ヶ浦対策課」を設置
- 1981(昭和56)年
12月 「茨城県霞ヶ浦の富栄養化の防止に関する条例」が公布される
(1982年9月施行)
- 1982(昭和57)年
6月 茨城県霞ヶ浦浄化対策推進本部(本部長 知事)設置
9月 「霞ヶ浦富栄養化防止基本計画」が決定・告示される
- 1984(昭和59)年
4月 「霞ヶ浦導水事業」が開始される
- 1985(昭和60)年
12月 霞ヶ浦湖沼及び指定地域として指定される
- 1987(昭和62)年
3月 「霞ヶ浦に係る湖沼水質保全計画」(第1期)が策定される
霞ヶ浦大橋開通(全長1015m)
- 1993(平成5)年
11月 「環境基本法」が公布される
- 1995(平成7)年
1月 ――阪神淡路大震災がおこる
4月 霞ヶ浦大規模浚渫工事が開始される
10月 つくば・土浦を会場として第6回世界湖沼会議が開催される
橋本昌茨城県知事が国際湖沼環境政策フォーラムで「霞ヶ浦環境センター」の設立を提唱
- 1997(平成9)年
霞ヶ浦開発事業が完了、霞ヶ浦の水ガメ化が本格化
- 2001(平成13)年
4月 霞ヶ浦「百万人の湖」推進事業を開始
- 2003(平成15)年
4月 高度処理型浄化槽(霞ヶ浦方式)の設置補助制度を、国に先駆けて創設しその普及促進を図る
10月 コイヘルペスウイルスによる養殖コイの大量へい死が発生
- 2005(平成17)年
4月 霞ケ浦環境科学センター開館