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更新日:2024年3月21日
本県では、「茨城県職員子育て応援・女性活躍推進プラン」に基づき、家事・育児や介護をしながら活躍できる職場環境づくりの推進、女性の採用・登用の拡大やワーク・ライフ・バランスの推進等に積極的に取り組んでいるところです。今回、実際に育児と仕事を両立し、活躍している2名の女性職員をご紹介します。
(配属先等の記載は2024年3月時点のものです。)
他の活躍事例も知りたい方は過去の記事をご覧ください。
大学では農業関係の学部に在籍していたので、学んだ知識を生かしたいと思い、農業関係を中心に就職活動を行いましたが、就職氷河期の終わりの頃で、なかなか内定には至りませんでした。
そのような中、教授が茨城県で農業職をしているOBの方を紹介してくれて、仕事内容について詳しく伺う機会を得ることができました。そして、農家の方への技術指導や研究など、様々な立場から「食」という人の命を支える産業に貢献できる農業職の仕事に興味がわき、地元である茨城県の農業職を目指すことにしました。
現在は、議会事務局で県議会が円滑に運営されるように議長をはじめとする議員をサポートしており、各定例会で議員が質問・質疑を行う際に必要な情報収集や調整のほか、営業戦略農林水産委員会の活動に関する業務を担っています。
議会事務局では、農業だけでなく、県政全般に関する最新の課題について議員や執行部と意見交換を行う機会もあり、大変やりがいを感じています。
農業経営課で従事した就農支援の業務が特に印象に残っています。新規就農者に対する国の給付金制度がスタートするタイミングでの異動で、要領や要項などを作った経験もなく、新たな制度の動き出しに向けて悪戦苦闘する日々が続きました。
とても大変でしたが、せっかくの支援制度を多くの方に活用してもらいたいという思いを原動力に、上司や同僚に相談に乗ってもらいながら、なんとか制度を軌道に乗せることができました。今でも、この制度を活用して就農した方が活躍している話を耳にすると、大変嬉しい気持ちになります。
私には2人の男の子がいます。日々、仕事と家事・育児に追われており「これをやって、あれをやって…」と常に頭の中でグルグルと考えている状態です。
私と夫の両親は県内とはいえ車で1時間以上かかる距離に住んでいますので、頻繁に頼ることもできず、産休・育休に加え、育児時間休暇、育児短時間勤務、時差出勤制度、在宅勤務などあらゆる制度を活用し、夫にも育休を取得してもらいました。2人目の時には職場復帰が1月でしたので、年度末までの3カ月間は県庁内保育所も利用しました。
今は、子どもの体調との戦いです。子ども自身が体調を崩すこともありますが、感染症による学級閉鎖など何日も出勤できない時もあり、どうしても仕事に影響してしまうことがあります。さらに、学校や保育園の行事などもあるため、夫とはスケジュールが共有できるアプリを使い、出張や残業などお互いの予定が分かるようにして調整しています。
最近、少しずつではありますが自分の趣味に充てる時間も取れるようになってきたので、気分転換をしながら自分に合ったペースを探していきたいと思います。
計画的に業務を進めること、自分の業務内容や遂行状況を可能な限り職場内に共有しておくこと、周りでどんな仕事が動いているのかアンテナを高くしておくことの3点を日頃から心掛けています。
これまで、子どもの病気などで突発的に休まなければならない時には、職場の皆さんがフォローしてくれました。フォローしてくれる方になるべく負担を掛けないよう、日頃から準備しておくことが重要だと考えています。そして、フォローしてもらえる事を当たり前だと思わず、フォローしてもらった分以上に周りをサポートできるようになりたいと思っています。
これまで、幸運にも政策研究大学院大学への派遣や議会事務局での勤務など、他県の方や農業職以外の方と接し、新たな視点に気付く機会に恵まれてきました。
県民のニーズを踏まえた政策形成をしていくためには、多角的な視点が重要になってくると思いますので、人と人とのつながりを大切にしながら広い視野を持ってキャリアを積み上げていきたいと考えています。
生まれ育った土地という愛着もありますが、茨城県は自然が豊かで美味しい食べ物も多く、大変住みやすい県です。
私は農業職を選びましたが、職種に関わらず県職員は「活力があり、県民が日本一幸せな県」の実現に向けて力を合わせて頑張っています。多様な働き方を支えてくれる制度も充実していますので、ぜひ一緒に茨城県を盛り上げて行きましょう。
きっかけは、地元の大学へ進学したことです。当時はバブル期で、就職先としては、給料の高い証券・損保・銀行等の金融系などが人気でした。しかし、都会へ出て働くより、愛着を感じていた地元茨城で地域のために仕事をする方が自分に向いているのではと思い、茨城県庁を志望しました。
また、私の母が日頃から「これからの女性は、家庭を持っても仕事を続けていくべき」と言っていたことも、公務員を志望した動機の一つです。当時、女性は結婚や出産のタイミングで会社を辞めるという風潮があり、民間企業への就職は短大卒の方が断然有利で、四大卒女性の採用は限られていました。
実は当時、茨城県職員採用試験においても女性の合格率はかなり低く、私が受験した年の上級(現在の試験区分は大学卒業程度)事務の合格者は、男性33人に対し女性はわずか2人でした。後輩職員にこの話をすると一様に驚かれますが、男女雇用機会均等法が施行された1986年から間もない当時は、まだまだ女性の就職が厳しい時代であったと言えます。
茨城県内に4つ(県北・鹿行・県南・県西)ある県民センターのうち、県西県民センターは筑西合同庁舎(筑西市)内にあり、県西地域の10市町を管轄エリアとしています。
具体的には、青少年の健全育成、就職支援、ひとり親家庭の自立支援、生活保護、産業廃棄物の不法投棄対策、大気汚染や水質汚濁防止の監視指導、建築指導法に基づく建築確認、都市計画法に基づく開発行為の許可など、県民に身近で現地性の高い業務を幅広く行っています。
また、合同庁舎には県税事務所、保健所、農林事務所、土木事務所など7つの機関が入居していますので、庁舎の維持管理も大切な業務です。
私はセンター長として、これらの業務が円滑に行えるよう職員を指揮し、進行管理を行うとともに、本庁の業務主管課と調整したりする役目があります。
一言で言うと「目標に向かってひとつになれる組織(チーム)をつくること」です。職員が目標達成に向けて前向きに仕事をしている姿を目にしたり、それが仕事の成果となって表れたときに、組織のリーダーとしてのやりがいを感じます。
また、人財育成も管理職の大切な役割だと考え、課長職になった時から、職員向けに独自の研修を企画してきました。とかく職員は、自分の担当業務に追われて興味関心の範囲が狭くなりがちですが、地域で活躍する県民から直接話を聞いたり、先輩職員の経験談を聞くことにより、新たな視点を学び取って欲しいと考え、実施しています。職員からは「前向きな気持ちになれた」「先輩職員の話に刺激を受けた」などの声があり、ひとり一人が意欲を高めてくれたことに喜びを感じます。
これまで経験したどの仕事でも、苦労や失敗があり、それぞれに思い出があります。中でも、2000年の地方分権一括法の施行後、市町村課を経て、県民センターの前身である県西地方総合事務所に異動し、筑西市や桜川市の合併協議を担当したことは、地方自治の転換期における貴重な経験となりました。
また、交通対策室に勤務していた時には、東日本大震災の発生後、1か月以上交代で泊まり込みながら対応に当たるとともに、被災した地方鉄道の復旧支援に携わった事も印象に残っています。
最も苦労したのは、地方創生がスタートした頃、地域計画課で移住推進を担当した時期です。たった一人の部下と共に異動直後からフル稼働し、都内に茨城県の移住相談窓口を新設したり、交付金申請にかかる国との調整や新規事業の立ち上げに奔走しました。その頃の私は、管理職として複数の新規事業を進める一方で、課内全体の取りまとめも担当するなど、かなり多くの業務を抱えており、体力的にも限界を感じていました。
このため、自分の限界が来る前に、周囲に助けを求め業務の一部を他の管理職に任せるとともに、優先順位の低い事業は年度途中であっても思い切ってやめる、といった決断をしました。幸い、上司や同僚の理解や協力もあって、業務目標を達成することができましたが、ひとりで抱えこまずにチームで仕事を完遂することや、「選択と集中」の大切さを学んだ気がします。
私には息子が三人いますが、振り返れば、子どもを出産した30代前半から50代半ばまでの時期は、仕事も忙しく家庭との両立で精いっぱいという状態でした。
子育てというのは、子の成長とともに苦労の量や質が変わってきますので、どの時期が最も大変だったとは一概に言えません。長男・次男は双子でしたので、最初の育休は毎日があっという間に過ぎていきましたし、小学生から中学生の頃は、毎週土日はスポーツ少年団や部活動の試合の送迎・応援で時間を取られました。また、子が中学生から高校生の頃は、残業で深夜に帰宅しながらも、早朝から弁当を作り駅へと送りだすため、睡眠時間はほとんどなく、体力的にきつい毎日でした。一方で、仕事の忙しさから来る精神的なストレスは、“親からの愛情表現”と思って頑張った弁当づくりや、週末の部活動応援などによって、リフレッシュできていたように思います。
また、20年以上前から夫の実家で義母や義姉と同居しているため、残業で遅くなっても夕食の心配が要らないのは、ありがたいことでした。今の時代、三世代同居というのは珍しく、嫁という立場での気苦労も確かにありますが、家族で助け合えるメリットの方が大きいと言えます。現在、息子達は就職や大学進学で家を出ており、私も時間的な余裕ができましたので、週末は家族で県内各地に出かけたり、息子達と都内で食事やアート鑑賞をしたりと、家族と一緒に自分時間を愉しんでいます。
ワークライフバランスとは、日々「仕事」と「家庭」と「自分時間」のバランスを取りながら生活するのが理想かもしれませんが、私のように、平日と週末、あるいは長期的スパンの中でバランスをとる、ということもありなのではないでしょうか。
一番大切にしているのは「チームワーク」です。常々、私の役割は、職員の力を最大限に発揮できる環境を整え、風通しやチームワークの良い組織をつくることだと思っています。そのためには、情報の共有や、職員同士(特に上司と部下)の信頼関係の構築が重要と考えており、本庁からの情報や会議結果などは、できる限り職員全員へ共有しています。また、若手職員と管理職のコミュニケーションを図ろうと、少人数単位での意見交換会も実施しています。
次に大切にしているのは、「相手の立場に立って考える」ことです。我々は仕事上、県民、事業者、市町村などと関わりますが、いずれも県にとっての「顧客」と考え、常に相手側の立場に立って考えるように努めています。
さらに「前年よりも良い仕事をする」、「仕事は常に楽しく、つまらないなら楽しくなるよう工夫する」ことを心がけています。例えば、筑西合同庁舎で働く全ての職員を対象に開催している「リレートーク」というセミナーも、私自身が楽しみつつ、これまでにない新しいことをやろうと思い、始めました。
以上をモットーに、仕事を通じて出会った人とのつながりも大切にしながら、これからも自分なりにベストを尽くしていきたいと思っています。
県の仕事は、分野が大変幅広く、異動のたびに新たな知識を習得しなければなりません。また、社会の変化に合わせて対応することが求められますので、自分自身をアップデートしていかなければなりません。しかしそれは言い換えれば、常に新たな学びの場がある、ということです。
社会に関わりながら、人としても成長ができるのが、県職員です。肩に力をいれる必要はありませんが、その人なりにやりがいを見つけながら、仕事もプライベートも、両方を充実させることが可能な職場です。
私も入庁した頃は、まさか自分が管理職になるとは夢にも思いませんでしたが、最初の職場で出会った先輩方は、皆さん後に部長になるなど、優秀で人格的にも尊敬できる方ばかりでした。35年以上経った今でも、毎年集まってお付き合いを続けていますが、そうした先輩と出会ったことが私にとっては大きな刺激になり、先輩方に少しでも近づけるよう心掛けていたら、いつの間にか現在の職になっていたという感じでしょうか。
茨城県庁には、そんな先輩や仲間がたくさんいます。未来への可能性にあふれた茨城県を舞台に、自分自身の可能性も試してみませんか。
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