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更新日:2021年3月28日

県広報紙「ひばり」4月号【特集4】

弘道館開館180年記念
渋沢栄一しぶさわえいいちと弘道館

NHKの大河ドラマ「青天をけ」の主人公・渋沢栄一。千以上もの企業や公共事業、慈善事業に関わり、後世「日本資本主義の父」と呼ばれた栄一は、2024(令和6)年に刷新される新1万円札の肖像に決定したことでも話題となっています。

は栄一は、1916(大正5)年に水戸を訪れ、弘道館などで講演を行っています。今回は、弘道館主任研究員の小圷こあくつのり子さんに、渋沢栄一と水戸との関わりについて解説していただきます。

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70歳の渋沢栄一(渋沢史料館所蔵)

 

202104_p8_4年11月、NHKの大河ドラマ「青天を衝け」の弘道館ロケがありました。ロケを機に調査を進める中で、栄一を慕う人々により発刊されていた『竜門雑誌』に、77歳の栄一が水戸に来訪していた記録があることを確認しました。
回は、当館企画展「渋沢栄一と弘道館」の内容をご紹介します。

<弘道館主任研究員:小圷のり子さん>

 

 

渋沢栄一<大正5年の水戸訪問>

5月28日
8時10分 上野駅発
土浦駅で竜門社会員の出迎えを受ける
石岡駅で県理事官・記者などの出迎えを受ける
11時52分 水戸駅着
知事・市長などの出迎えを受ける
水戸公会堂で昼食
物産陳列館を観覧
弘道館孔子びょうを見学
13時00分 弘道館で講演
彰考館しょうこうかんを見学
常磐公園(偕楽園)・好文亭を観覧
19時00分 水戸公会堂で歓迎会
清香亭に宿泊
5月29日
9時00分 県立商業学校で講演
11時30分 水戸駅発

栄一、水戸での足跡

戸駅から人力車で水戸公会堂に入り、そこから徒歩で弘道館に向かった栄一。『論語』を重視し孔子を尊敬する栄一は、弘道館に着くとまず孔子びょうを見学します。70歳を機に実業界の第一線から身を引き、多くの社会事業活動を行った栄一は、弘道館で感化事業(児童自立支援事業)について講演しました。

演が終わると、当時常磐神社の横にあった彰考館しょうこうかんを訪れ、保管されていた水戸藩2代藩主徳川光圀の注書が残る「大日本史草稿」などを閲覧し、偕楽園内を観覧。いったん、水戸公会堂に戻り歓迎会に参加した後、偕楽園近くの清香亭に宿泊します。

日には、県立商業学校(現:県立水戸商業高等学校)で若者を前に経済と道徳の調和について講演後、水戸を発ちました。

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▲弘道館孔子廟(弘道館の中心部に建てられた孔子を祀る聖堂)

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▲水戸公会堂(物産陳列館)
現在の三の丸庁舎駐車場にあった。1階が物産陳列館、2階が公会堂

 

栄一は弘道館での講演の冒頭で、水戸藩の学問に影響を受けたことや徳川慶喜に仕えたことなどを述べ、水戸への特別な思いを明らかにしています。
〈講演録から抜粋〉
●水戸学に対しては子供の折から深い感じを有って居ります
●慶喜公が一つ橋に在らせらるゝ頃に、私は御奉公をして一つ橋の家来となりました
●水戸と云ふ土地には甚だ深い感情を有って居ります

 

水戸学と渋沢栄一

一は1840(天保てんぽう11)年に武蔵国榛沢はんざわ血洗島ちあらいじま)村(現:埼玉県深谷市血洗島)の富農の家に生まれました。幼少の頃から学問を好み、読書や剣術の稽古に励む日々を過ごし、13歳頃になると家業である農業や藍葉の仕入れにもいそしみました。

演録によると、栄一は若い頃、水戸学に「深い感じ」を抱いたと述べています。水戸学とは、「水戸」という地名が付いていますが、実は日本全体の歴史を探求することによって、現在を見つめ直し、さらに将来への展望を開こうとする、スケールの大きな学問です。西欧列強が迫りくる、先行き不透明な幕末の時代の中で、栄一は水戸学を学びつつ、自分の生き方や国家の行く末を真剣に考えようとしていたのではないでしょうか。

 

徳川慶喜と渋沢栄一

喜は、水戸藩9代藩主徳川斉昭の七男で、御三きょう一橋徳川家を相続した後に江戸幕府15代将軍となりました。

1864元治げんじ元)年、栄一は討幕派の志士として活動していく中で身の危険が迫り、状況を打開するため、家臣として慶喜に仕えます。討幕派から一転して幕臣となった栄一ですが、慶喜と厚い信頼関係を築いていきます。

喜は、1867(慶応3)年に開催されたパリ万国博覧会の政府派遣団の代表に弟の昭武を指名し、その一員として栄一が選ばれました。栄一は派遣団の会計係としてヨーロッパの経済と資本主義を体感するとともに、さまざまな文化に触れました。この経験は、栄一の考え方に大きな影響を与えます。

政奉還後、慶喜が静岡に移り住むと、栄一は慶喜を追って同地に赴きましたが、明治政府の呼び出しを受け、民部省に奉職するために東京に行きます。その後、官を辞し、第一国立銀行をはじめとする多くの企業の設立に関わった栄一。その間も慶喜との君臣の交流は続き、幕末における慶喜の果たした役割を再評価することで、主君慶喜の名誉回復を願い、25年もの歳月をかけて『徳川慶喜公伝』の編さんを行いました。

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▲弘道館至善堂

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▲講演をする栄一(渋沢史料館所蔵)
弘道館での講演の様子を想像させる別の講演での栄一の姿

一が生涯にわたり慕い続けた慶喜は、弘道館至善堂しぜんどうで幼少期に学び、また大政奉還後には、静岡に移るまでの約4カ月間、同じ至善堂で謹慎生活を送りました。

喜の死去約3年後に至善堂に足を踏み入れた栄一は、どのような心境であったか、想像すると胸が熱くなりますね。

喜と栄一が滞在した弘道館で、ぜひ歴史に思いをはせてみてください。

大河ドラマ「青天を衝け」(NHK)弘道館ロケ

2020(令和2)年11月に、子供時代の徳川慶喜が武芸の稽古に励むシーンや、竹中直人さん演じる徳川斉昭が幼い慶喜に主君としての心得を説くシーンなどの撮影が、弘道館で行われました。

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大河ドラマ「青天を衝け」NHKで毎週日曜日午後8時から放送中

 

弘道館企画展「渋沢栄一と弘道館」開催中

期間▶12月19日(日曜日)まで
入館料▶大人400円、小・中学生・満70歳以上200円
所在地▶水戸市三の丸1-6-29
電話▶☎029(231)4725

 

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